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バイバージャパン責任者として日本での事業拡大に挑戦 【イスラエルとの縁-7-】


2015年も秋に差し掛かる頃にはずいぶんイスラエルでの仕事にも慣れていた。今ではほとんど残っていないが、当時のバイバーの面々とは相当親しい関係になっており、社外でも数多くのスタートアップの人々とも接点ができ始めていた。そして、バイバーの一員として充実した日々を送っていた私に転機が訪れる。

<創業メンバー4人との別れ>

2015年10月頃、イスラエルとの縁をつないでくれたバイバー創業者4人が卒業し、別事業へ進むことになったのだ。創業メンバー(タルモン、イゴール、オファー、サニー)との最後のお別れ会は、バイバー全社員参加のもとギリシャのロード島で行われた。

このとき、とても複雑な気分であったことをよく覚えている。その後も4人との友好関係は変わらず続いていくとはいえ、一つの時代が終わりを迎え、そこに立ち会っているという事実をまざまざと感じさせられた。おそらくそこにいる皆が同じように感じていたのではないかと思う。

<バイバージャパン事業長に就任>

さて、創業者の卒業を契機に社内体制も刷新されることになった。そこで、事業を深く理解していてイスラエルのメンバーからの信頼も厚いということで、私は最高法務責任者に加え、バイバージャパンの事業長(言わば日本現地法人ヘッド)についても兼任することになったのである。

このバイバージャパンという組織は、買収直後の2014年早い段階から作られ存在していた。そもそもの買収の背景に、日本市場でのメッセージサービスの開始と強化という戦略があったからである。特に日本側の他ビジネスとどう連携しシナジーを生んでいくのかは命題であり、会社としてもかなり注目されていた。私が事業長を兼任したのは、買収から1年半経過した頃である。創業メンバー達が去り、本格的にインテグレーションを実施することに日本、イスラエル側双方で合意し、事業強化に向けて動きだしたのだ。

ここではずいぶん貴重な経験を積むことができた。現在積極的にJakoreの一事業として展開しているイスラエルスタートアップのための疑似カントリーマネージャー役や日本事業開発事業長役の基礎は、まさにここで身につけたものである。さまざまな事態に直面し、ときには失敗も経験するなかで自身で体得したノウハウだ。

<難易度の高いカントリーマネージャーの職務>

カントリーマネージャーというのは、想像以上に大変な役回りである。イスラエル側と本体の日本側の間で板挟みになるのは日常茶飯事で、日本側からのクレームや文句も全てここに集まる。”インテグレートする”と言うが、これが一筋縄ではいかない。技術やプロダクトのコントロールは現地にあるため、実際に日本側でハンズオンで対応できることは少ないのだ。そのため、指示や調整をするだけの役回りにすぎず、もどかしい思いをしながら淡々と進めていくことになる。

とはいえ、その道のりは”淡々と”と言えるほど簡単なものではないのもまた実情である。以前のブログでも記載したが、仕事の姿勢、コミュニケーションの仕方、プライオリティーのつけ方、実施方法など全てにおいてイスラエルと日本のカルチャーの違いに悩まされる。間に入る身としては、胃を痛める思いをすることも珍しくない。さらに、時差や勤務曜日の違い(イスラエル企業は日曜日から木曜日がビジネスウイークである)から、夜遅くのテレカンや日曜日の業務などは当たり前で、体力的にもかなり消耗する。英語やプロダクトや技術に関するテクニカルな知識も相当に求められるため、難易度の高い仕事だと言えるだろう。

では、イスラエル側から人を日本に派遣した方が良いのではないかという議論もあるが、これはこれで難しい。日本国内で実際に社内外への営業もこなし、日本語の書面を含めた各種行政対応をしていくのもカントリーマネージャーの仕事なので、やはり限界があるのだ。

バイバーは、上記のようにイスラエル側から担当者を送り出すことも含め、あらゆる形で日本進出に挑戦してきた。その中で私はイスラエルのプロダクトを日本市場で展開する際の多くのノウハウを手に入れる事ができたと思う。そして現在、複数社のイスラエル企業の日本展開の事業開発やカントリーマネージャーを担っているため、幅広い事業分野で同様の経験を重ね、イスラエル製品の日本進出の難しさを体感してきたと自負している。

次回は、イスラエル企業が日本市場へ進出する難しさや注意点について、過去の経験や学びをもとにお話していきたいと思う。

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