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カルチャーショックを受けた印象的な出来事【イスラエルとの縁 -3-】


イスラエルで働くようになってまもなく、価値観を覆させられるような印象的な出来事がいくつかあった。今日はその中から二つほどご紹介したい。

戦争の存在が生む価値観の違い

一つは、2014年11月から2015年1月にかけてタルモンとともにバイバーの報酬制度を見直したときのことだ。

我々は欧米のハイテク会社のスキームは理解していたつもりだったが、イスラエルでの経験がなかった。そのため、まずは現地の某法律事務所へ相談しに行ったところ、シリコンバレーに似たような感じだという助言を受けた。とはいえ、表面上は見えにくいイスラエルスタートアップ特有の注意点も何かしらあるのではないかと感じたので、慎重に進めることにした。

買収は会社にとって大きな変化である。

我々は、事業を創り上げ推進してきた現地社員に対し、長期で残ってより良いサービスにして欲しい、円滑に統合して事業を一緒に進めていきたいと考えていた。そのため、イスラエル人の感覚で適切と考えられる報酬制度を設定しようと多くの社員にもインタビューをしたのだ。

そのとき「3、4年はいて欲しいのでそういうスキームを組もうと考えている」と言う我々に、ある幹部社員がこう返した。

「俺は昔ガザ地区で2年間戦場にいた。毎日銃弾がすぐそばを飛び交い、いつ命を落とすかわからない生活をしていた身だ。だから3,4年先のことを言われても正直ピンとこないよ。」

我々は唖然としてしまった。彼らはせいぜい半年とか一年程度しか考えていない。3、4年先は生きているかどうかも分からない、という価値観なのだ。もともと日本とは感覚が違うだろうと思っていたものの、長期目線の施策はワークしないということを思い知った。

似たような話は他にもある。日本にもよく来る、私がとても仲良くしているイスラエル現地のシェフとの会話で驚かされた事があった。

現在、テルアビブはレストランブームに沸いている。多少のアレンジはあれど、和食も大人気で、相当な数のレストランが出来ている。流行りの店はなかなか予約が取れないし、わりと単価も高い。ある種新しいコンセプトの料理を持ってくれば儲かるようにも見える。

私の友人もアジアレストランを経営しており、この1年ちょっとで2軒件目と3軒件目の日本料理屋をオープンさせたところだ。

ある日一緒に食事をしていたときに、「この国で面白いコンセプトの料理を持ってきてレストランオープンさせたら儲かりそうだね。」と軽く言ってみたところ、「いや、この国でレストラン、特に高級レストランを経営するのは非常にリスクが高い。事実、2014年は本当に悩んだよ。」と返してきた。

私はてっきり人のマネージメントの事を言っているのかと思ったが、そうではなかった。2014年中盤といえば、ロケット弾攻撃が活発だった時期なのだ。つまり、そうした情勢から外出や贅沢な外食を控える人が増え、客足が激減したというのである。

日本ではビジネス上の想定リスクの中にこの手のリスクを考えることはほとんどないので、聞いたときにはショックを受けた。やはり我々の常識で物事を考えたり判断したりしてはダメだなと改めて思ったものだ。

他国のIT化推進策を支援。仕事のスケールの大きさ

もうひとつは、同時期2015年の1月から2月にかけて世界各地をタルモン氏とイゴール氏と回っていた時期、マケドニアの首相から招待を受けたことだ。国家元首から招待を受けるなんて経験は後にも先にも一度きりである。

発端は、私とタルモンがとある国でのパーティーでマケドニアの当時の通信大臣と出会ったことにある。マケドニアという国は日本人にはあまり馴染みがないかもしれないが、人口は200万人程度と小規模ながら、当時はその半分以上がバイバーの利用者であり、我々にとっては大のお得意様と言える国であった。

その時出会った40歳手前ほどの若い大臣からは、「バイバーはマケドニアで非常に人気だ。国としても応援したいので、いつか遊びに来てくれ。」という趣旨のことを言われた。その後タルモンと私はその大臣と友人関係になり、頻繁にバイバーでチャットするようになった。

当時タルモンとは何十か国と飛び回っていたこともあり、ある日、本当にマケドニアのスコーピアにも行こうという話が出た。そこで、バイバーのプロモーションパーティーをマケドニアで開くことを企画したのだ。

マケドニアで一番と言われていたシンガーを迎えて集客し、パーティーは無事成功。そんな中、マケドニアの首相から対談を申し込まれ、首相官邸で2時間近くセッションをしたのである。

首相がタルモンとイゴールに会いたがっていた用件は、マケドニアの国としてのIT化推進に関する相談で、この会は翌日の新聞にも一面で大きく取り上げられていた。(http://macedoniaonline.eu/content/view/26834/4/、その時の様子の写真が上記のものである)

実は、彼らが相談を受けた背景にはベラルーシでの活躍があった。

バイバーのCTO イゴール氏はロシア出身である。バイバーの開発でベラルーシのエンジニアと提携しており、コーディングは基本的にベラルーシで行われていた。意外に思われるかもしれないが、イスラエルではロシア語を話せる人口は全体の2~3割に及ぶ。これは過去の歴史に基づくものだ。

イスラエル建国以前のユダヤ人コミュニティーはいわゆる旧ソビエト連邦国やその近辺に散っていたが、戦後それらのコミュニティーが戻ってきたのである。そのため共同作業に困らないのだ。実際、バイバーのエンジニア間のコミュニケーションでも頻繁にロシア語が飛び交っていた。

私も何度かミンスク、ベラルーシには足を運んだが、日本人は入国にビザが必要であり、かなり馴染みのない国である。旧社会主義国の名残がところどころに見て取れる。そんなベラルーシで、バイバーは非常に有名である。有名なだけでなく、リスペクトされていると言っても過言ではない。

なぜ一企業がそこまでリスペクトされるのか。その理由は、バイバーのプロダクトや技術力がどうこうと言う話ではない。実は、それまで私は知らなかったのだが、イゴール達がベラルーシを一会社としてのアウトソース先として付き合うだけでなく、国家レベルでのIT化推進をバックアップしていたからなのだ。

歴史上旧ソビエトにより産業に壊滅的な打撃を受けたベラルーシでは、国の売りと言える産業を何にするか、国家レベルで模索してきたという。今やIT化が進み、教育も変化し、ベラルーシの子供達の一番の憧れの職業はソフトウェアエンジニアだと言われる。

その国策への具体的な支援に10年近くかけて一役買っていたというのだから驚きだ。この成功が他国でも関心が呼び、今では彼らに国家レベルでの依頼が来る。マケドニアもそのうちの一つだったわけである。

印象に残っている話を二つ挙げたが、他にも、価値観を覆されたり自分の仕事のスケールを考えさせられるようなできごとはたびたび起きた。そうして刺激を受けるうちにイスラエル人の価値観を理解できるようになり、一緒に働く仲間への尊敬の気持ちも深くなっていった。

日常生活でのストレスから蕁麻疹が出たこともあったが、イスラエルでの仕事に引き込まれていったのは間違いない。

次回は2015年6月以降、イスラエルで働くことに慣れてからの期間を振り返ってみたい。

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